消えた遭難慰霊碑

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日高と三角ノ頭を結ぶ吊尾根の片隅にあった遭難慰霊碑がなくなった。2013年4月に撮った写真が残っているので、そのときまでは間違いなくあったはずなのに最近目にしなくなった。もしかして立っていた場所を記憶違いしたかと思い周辺を探し回ってもみつからない。そんなことある訳ないと思うのだが、やっぱりどこかに消えてしまった。

 トップ画像/表尾根の霧氷、記事内容とは関係なし
札掛[6:50]…境沢林道…欅沢左岸…長尾尾根…新大日[10:00]…塔ノ岳[10:55/11:00]…日高[11:30]…遭難碑探索…三角ノ頭…三角ノ頭北東尾根…本谷林道[13:05]…本谷径路…札掛[14:40]

この遭難慰霊碑、昭和36年5月7日、ひとりで丹沢山に向かったまま帰らぬ人となった長谷川義雄さんのもので会社の同僚たちによって建立された碑である。
50年以上前の出来事で、もちろん親交があったわけでもなく、とくにかかわりがあった方ではないのだが、丹沢での遭難となると他人事とは思えず、遭難に至った経緯が知りたく調べてみた。
以下は遭難を報じた神奈川新聞からの転載だが、その後の状況を報じた記事はみつからなかった。

 丹沢で消息絶つ
平塚市新宿●●、株式会社不二家平塚工場販売部勤務、長谷川義雄さん(二六)がさる七日朝ひとりで「丹沢山へ行く、といって家をでたまま帰らない」と十日、会社から秦野署へ捜索願いが出された。同署では七日が午前中天気が悪かったことと、長谷川さんが山には経験が浅いことから、沢か尾根で遭難したことも考えられるのでさっそく遭難救助隊を編成、長谷川さんの友人など総勢十七人で表尾根や沢を手わけして捜索したが、同夜になっても見つからず同夜七時に捜索をいったん打ち切り、きょう十一日県警機動隊一個分隊の応援を求めて全山の捜索にあたる。

この遭難慰霊碑、日高から東に向かい三角ノ頭との鞍部にくだっていく途中の四町四反ノ沢側崩壊地崖っぷち近くにあり、以前は踏跡の脇に立っていたのだが、最近はオバケ沢寄りの踏跡が濃くなり、そちらを歩くことが多くなったので見過ごしてしまうことが多かった。
数年前、見かけないことが気になり、探して手を合わせていこうと慰霊碑があるべきところに立ち寄ってみたが、不思議なことに見つからない。おかしいなと思いながらそのときはそれで終わったが、そのあと通るたび探してみたがやっぱりみつからない。石碑が勝手に動くわけがないし、盗まれるようなものでもないのに…
地盤が不安定なところなので、もしかして崩落してしまったのか…
気になりだすと夜も寝むれなくなる性分、探し物好きのM氏を誘い探索にでかけてみた。

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左の写真は2013年4月に撮ったもの、右はあちこち探し回って、やっぱり「ここだったはず」と思い撮った写真で二枚の写真を比較、検証してみた。
季節が違いアングルも少し違うので分かりにくいと思うが、後ろに写っている木をよく比較すると同じ場所なのが分かると思う。そうなると右の写真に写っている手前の岩のあたりに碑が立っていたことになる。よく見るとこの岩が土台のようにも見えるのだ確証はない。もし何らかの原因で碑が倒れてしまったのなら、周囲に転がっているはず、しかし見当たらない。考えにくいが、崖から転げ落ちたことも考え探してみたがそれらしい岩はみつからない。いったい、どこに消えたのであろうか。
誰かが持って行ったなどとは到底考えられないし結局、謎のままである。

 2019.1.12.(土)

《今回のルート図》

この記事へのコメント

  • TI-AEK25

    イ師匠 おつかれさまです
    土台のように見えるこの岩こそが実は碑そのものだ、という説はありますでしょうか?
    2019年01月24日 05:57
  • イガイガ

    写真ではそれっぽく見えるかもしれませんが碑石ではないです。
    さすがにこれを見逃すことはないですね
    2019年01月24日 16:18